シング・ストリート その夢は、誰がみた夢?
シング・ストリート、おもしろかった…ブルーのキャデラックで走るバックトゥーザフューチャーな歌のところ、泣いてしまった
コナーのみる夢が、ハッピーサッドな環境が
映画って、ぜんぶ嘘だから
誰のみる夢かって、大事
監督のひとりよがりな夢なら泣かなかったけど、これはコナーの理想とコナーの現実の乖離からくるコナーの妄想、それはもう胸の締め付けられるような悲しさの漂う、せつなく楽しいシーン
時間も距離も、操作ができる
夢うつつをどう捉えて演出するかが映画をみるおもしろさで、カーニーはそれがとても
自然にみせつつ、ふっとリアリティのラインが変わっていく、日常のふとした小さな仕合わせも入れ込んで、ハッピーサッドのうつつが増していく、このかんじ
うれしい。かなしくても、力になる。コナーの船出は、コナーのお兄さんの過去だし未来だし、みてる私たちがのぞめば、私たちの未来。
音楽の生まれ方、好きなものへのかぶれ方、みなでつくっていくところ、いとおしかったし、はみ出しものたちのロックの、根拠のない自信もよかったなぁ。ウサギ小屋から出たら、なにものかになっているというあの魔法の格好良さ。
誰かから渡されたバトンをつなぐということ。色々な人たちの思いや努力の積み重ねの先に自分がいるという自覚。
カーニーの映画いくつかみてくと、お兄さんと、音楽に、感謝と尊敬があることがわかる。教えてもらって受け取った先に自分が立っているという自覚がスクリーンに映っているようで、そのことが爽やかで素晴らしいと思う。
さて、シェイプ・オブ・ウォーターですが
いつもどおりわたしはダメでこの監督
なぜかなあ、モチーフはすきなのに、好みは重なっても信念が異なるから嫌悪になる?とか考えていましたが、
その夢が誰の夢か
ってところかも
おじさんの夢をおじさんが撮るならそれはお好きにどうぞ、みていてそう違和感もたないやり方もあるだろうけど、登場人物に自分の夢を押し付けて行動させるかんじがあるところが、苦手なんだなきっと
自分の欲を満たすためにキャラクターをつくるなら、それなりの作法があるだろう、と個人的には思うみたい、わたしの夢とは重ならないみたい。