イエジー・スコリモフスキ『早春』
映画「早春 デジタル・リマスター版」予告 2018年1月13日公開
スコリモフスキはみにいくよね、みにいって、よかったよね。
ジェーン・アッシャーと、ジョン・モルダー=ブラウン。
アイドル顔の男の子と、ビートルズのポールの恋人だったという…でも、この映画みたら、スーザンはスーザンだなぁ。ジェーンのスーザン、綺麗とか以上に…金髪にもみえるしなれる、でも赤毛でなくちゃと思う、なんだろうこれ。
そんな二人が出会う、「ロンドンの公衆浴場」って、不思議な場所。場末では、ないの?
音楽は、キャット・スティーヴンス(ロンドン出身のシンガーソングライター)とCAN(ドイツのロックグループ)だって。ロンドンと、ミュンヘンで撮影したらしい。
やっとソフト化なんだって、その記念の上映だって、うれしいね。
色とか影とか音楽とか、水中の、幻想とか。
はじめのペンキみたいなぺたっとした赤、不良の音楽、自転車がレンガの壁際走って、70年代!ってかんじのイケメン。公衆浴場、古いへんなコンクリ。はすっぱなスーザン。突然いっぺんにはじまって、ずっと惹きつけられたまま、すてきじゃない労働にまみれたでもまだ自覚すらない人生、
そしてそれが日常へ。それから、滑稽で捻れて瞬間たのしくて、甘美なんか冗談じゃないラストへ。
初恋なんて、正気では振り返れないものでしょう。語るひとたち、どうかしてる…どうかしてるよ。大丈夫?大丈夫なんだろうなぁ、どうして。どうして、自分の感情が甘く悲痛で美しく許されると、おもえるの?
『イレブン・ミニッツ』(息子が亡くなって構想したという、11分間の群像劇と、テロをおもわせる悲劇の映画)のインタビューでおじいちゃんのスコリモフスキがいっていた「楽観的になれるときも美しい一瞬もある、けど人生ってつまり、こういうものだろ?」
ペシミストというよりリアリスト、人生ってそういうものだとおもうこと、わたしもある。でも、それじゃいけないよ!という人や物があるもんだから、そうじゃないことにしたりすること、ある。
だからスコリモフスキの映画みると安心する。ひとつひとつの作風、まったくちがうようだけど。「いいとかわるいとか、望むとか望まないとかじゃない、そういうものだよね。」におとせるから。
初恋される側って、たいへんだよ。相手を慮ってうまくしないと、意味のわからん理屈でとんでもないことされる。それ、こわいことだよ。
「気持ちを汲む」があるとちがうの?でもだれの気持ちをどう汲むかは、それぞれが決めて良いのではないの?未熟者同士なんだから。
執着と愛と恋と、相手に向けて良いことと、そうでないことと。一人でやることと周りを巻き込むことと。周りと相手と自分自身に、巻き込まれることと。
「世界が変えられないのと同じ、わたしのことも、変えられないわ。」
クーリンチェで、恋人に刺されて死んだ女の子。
エドワード・ヤンの映画、リマスター版では、「社会」って訳してた。台湾の、当時の政治のあれこれ、青少年にも影響しただろうけど、わたしはVHSでみた「世界」の訳で覚えちゃったから。
ほんとうにどこにでも起きる。そういうことは、そういうものだ。
誰がどの役をやる?起きる前に、映画の観客のように、せめて自覚したいものだけど。