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ごらんになりましたか

『バッド・フェミニスト』感想途中ー what a wonderful girl!

フィンチャー監督の『ゴーン・ガール』、みましたか?

それから、シャーリーズ・セロン主演の『ヤング≒アダルト』。

 

どちらもちょっと今話題にするのは古い、もうわりと前に公開された映画なのだけど(原作は小説でもわたしは映画しかみてなくて)、今読んでいる途中の本『バッド・フェミニスト』に出てきた固有名詞で、わたしにもわかるやつがこの辺り。

アメリカの、クソ女…もとい「好感の持てない」女性キャラクターについて書かれているくだりを読んで、思い出していた。

 

わたしは、ゴーンガールもヤングアダルトも好きだった。面白かったよねぇ。そして確かに当時、ヤングアダルトのあの子のことを精神疾患とか人格障害とかなにかの病気として批評する言説、あったかも。はぁ?って、思ったこと、思い出した。あの映画であの子を評するのにさ、なんでそんな窮屈なラベリングするのかね(怒)つまらない価値観さらしやがってまぁ、と思ったものだったよ。

 

『バッド・フェミニスト』は、社会批評家でメディア統計家で、ポップカルチャーへの愛がある、アメリカ育ちのハイチ系の黒人女性、ロクサーヌ・ゲイのエッセイ集。2017年2月に日本語訳が発行された。

エッセイ集っていうと、日常の感覚的なあれかと思ってしまうかもしれないけど、この本はその印象とはまたちょっと、いやぜんぜん違うよ。自由と不自由の国、アメリカ!

 

「好感の持てない」女性キャラクターがどんなふうに受け入れられるか(というかどんなふうに受け入れられないか)ということを問題提起した「友達を作るためにここにいるわけじゃない」、なるほどなぁと面白かった。

「好感を持てない」「友達になれない」は創作物にとってある種の褒め言葉。そうじゃないと描ききれないものがあるし、わたしは読み手として、それを見たいよ。

さてなのになんで、「好感が持てる」ことがそんなに大事な問題になるの?

 

誰かの友達になるためにキャラクターがあるとは限らないから、キャラクターが精神病的だろうが反社会的だろうがまったく構わないひともいれば構うひともいて、そういうキャラクターが好きなひともいれば嫌いなひとだっている。

でもロクサーヌのいう「批判的な意見を持つ批評家による安楽椅子診断」っていうのは確かにあって、それは好き嫌いとは別な問題だろうなって思う。彼らはほんとうだいたいまったく、信用ならない。それは例えば『ヤング≒アダルト』のメイヴィスに診断書を出してしまう彼ら。そうしないと不安でたまらない人たちが、自分を安心させるための文脈にメイヴィスを落とし込む。不安の自覚がないままにそれをやるのは、なんていうか暴力に似てる。

彼らはたぶん、キャラクターが女性のときに特に張り切る。彼らはホールデン・コートフィールドにはじまるある種の男性キャラクターは無事に通過させるというロクサーヌの意見、やっぱり実感としてわかる。

そういう人たちって、いるよ。日本にも今も。もしかしたらわたしの中にもそういう感覚、育っているかもしれない。ちょっと考えれば当たり前のはずのロクサーヌ・ゲイの問題提起を「面白い」と表現してしまったわたしにも。

 

そしてさ、キャラクターだけじゃなく隣で生きてる人間にもそういう考え方当て込んでくるご自宅批評家のみなさんにはちょっとでいいから、立ち止まって考えてほしいわけ。

「わたし、あなたに好感を持たれるために生きているんじゃあないんです」

と生身の人間から言われたとして、せめてその意味するところが理解できる程度には。

 

クレア・メスード(『階上の女』という“好感を持てない”主人公ノラが出て来る小説の著者)読んでみたいなぁと思った。「わたしはノラと友だちになりたいとは思いませんね。そうじゃないですか?彼女はほとんど耐え難いぐらい怖いです」というインタビュアーに対してのこたえがさ、紹介されてるんだけど、すごいかっこいい。ちょっとだけ書き写すと、

ー何その質問?ハンバート・ハンバートと友だちになりたいってわけ?ミッキー・サバスと?ハムレットと?エディプスと?ラスコーリニコフと?…ピンチョンやマーティン・エイミスがこれまで書いた登場人物と?…もしあなたが、友達を見つけようとして読んでいるとしたら、困ったことです。私たちは人生を、その可能性の中にみつけようとして読むのです。適切な質問は、「このキャラクターは私と友達になれそう?」ではなく、「このキャラクターは生きてる?」でしょう。

 

さいきん、日本のなにやをパラパラとみるにつけ、どうもキャラクターの作られ方がマーケティング的で記号的なものが増えてるような気がして気になってた。売れなきゃいけないから、を第一に造形するとそうなるよね。業界が不景気だってことかしらんなど考えてた。

みんなに好感が持たれるというのは嘘だし、それを目指すと商品だよね、キャラクターって好きでも嫌いでも、「生きてる」感じがするものがいいよね。いやわたしは、そう思うよ。

 

 

わたしさ、あの子、ロキシーがすきで、『シカゴ』の。フォッシー振付のブロードウェイ。

ロキシーは馬鹿で不倫で殺人犯で嘘つきで、まぁ平たくいうとクズ。わたしのすきな言葉で言うとクソ女。というかあの話、登場人物全員クズってやつ。そして生命力にみちてる。コンプレックスがセクシーなボブ・フォッシーの振付で、端役までみんな。舞台の上のあの子をずっと見ていて、ラストに立ち上がってくるあのかんじ、イノセンスの表現として最高の部類のものだとおもう。人生の可能性ってやつを、みつけたようにおもう。

それでさ、シカゴの初演の年を調べて、アメリカってやっぱり進んでるなぁ、きっと女性問題とかいわれるやつについてもさ、っておもってた。

がしかし、そんな甘くないね。現実の世界のフェミニズムはそう、無駄ではないけど現状維持でいいわけでもないね。私より下の世代の子たちは、どう感じてるのかが気になるところ。わたしたちの頃よりは、すこしかましになってる?

 

『バッド・フェミニスト』はまだ読みかけで、これからどうも『ハンガー・ゲーム』の話がでてくるみたい。楽しみ。ティーンが殺し合うことで生き延びるシステムの、異世界のフィクション。主人公の女の子が、可愛すぎず強すぎずでも、なんともいいんだよね。最初のだけ、映画でみた。世界観で押し切ったー!って感じが面白かった。よく考えてしまうと、悪い意味でラノベっぽいとはこういうことを指すのかな?みたいにおもうところも多々あったけど、愛されて映像化されたんだろうなぁって感じが画面によく出ていて記憶に残ってる。ロクサーヌは、どんなふうに読んだのかな。

ゴーン・ガール』はめっちゃおすすめだけど、なにも知らないなら知らないままみたほうが面白いきっと。なのでここでは説明しない。そしていま公開中の、『ELLE』みに行きたい。主人公のキャラクターが面白そう。