Starring:my name

ごらんになりましたか

LA LA LAND = 好き

 

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荒削りで生き生きした勢いがあるところと、雑多な日常感がすき。

 

セブの役者、ライアン・ゴズリングがたいへんすきです。最近の役者は無駄にオラついてないところがよいですよね。人類は進歩している。

セブをみていたら、男の人ってこんなふうに女の人をあいするのか…ということがわかったような、びっくりしたような。ははぁ、とおもったり、えっ?そうなんだごめん、となったりさ‥

こりゃあかつてガールだったわたしとしては、受け止めきれてこなかったや…とおもいました。いやー、そういうことだったのか、その愛は知らないよ気づかないな、それは受け止めそこねるなぁって気分になった。こちらにはこちらの事情があるから、なかなかむずかしい。

 

セブはさ、がんばりやさんよね。すきな人に、喜んでほしくて。頑固で自分の意見のあるようででも、適当でみえっぱりなところがあって。自分を持ちきれてるわけじゃないけど強がりなところがセクシーです。ミアに惹かれている様子がセブの魅力だった。

 

 エマ・ストーンのミアはさ、ちゃらちゃらしたところがかわいいよ。となりにセブがいたらば、なおかわいい。もう大人の歳だけど、たいていいつもそのまま、自分のままでさ。

ろくでもない子なのかもしれないけど、応援してしまうのはたぶん、ナオミ・ワッツを思い出すから。

 

ナオミ・ワッツて、すごかったよね‥マルホランド・ドライブ

わたしは冒頭のハイウェイシーンでデビット・リンチを思い出していて。ロコモーションで踊ってたのすきだったなーとか。リンチに似てると思うにしては絵と音の処理が美的に大雑把な映画だけど、そう思わせるエネルギーがある。

 

いろんなものを下敷きにしてさ、そのパワーをもらえばいいよ。似せなくたっていい。自分以外にはなれないんだから、洗練されてないならそれはそのまま、拙くとも等身大の自分を、一番大きく背伸びさせればいい。

昔の名作といわれるミュージカルだとか、ハリウッドのハリウッドものだとか、全部ではないけどけっこうみてるとおもうんだけど、わたしはラ・ラ・ランドのかんじ、主にはデビット・リンチウディ・アレンをおもってみていた。

 

映画には映画の歴史があって、他の表現媒体に比べてその歴史が短い分、少し前ならその歴史のはじまる第一作目の汽車ぽっぽからから現在までを全部追うことができていた、ゆえに上映される映画は全部見た上で語るということがされていたということ、きいたことがある。

今はさ、映像表現、その頃とはちがうよね。わたしくらいの世代は、たぶんデイミアン・チャゼルもそうじゃないかとおもうけど、たくさんあるコンテンツの中の1つとして、それぞれの映画にその時々で接している。それぞれ個々を、自分の中で等価値に並べて。現代ってそういうことだとおもうし、それはそうわるくないとおもう。

 

体系立った万遍ない知識はほしいし大切なものだけれど、そうでない見方をしたからといって、感動の量が減るわけじゃない。歴史や先人たちへの礼儀や敬意がないわけでも勿論ない。一個一個、自分なりに出会っていれば、その「自分なりに」ってとこはわりと大事よ。自分の連なりは歴史の一部だし、その自分を追った先に社会がある、でしょう?

わたしはチャゼル行け行け!とおもっていて、セッションのときもそうだったけど、この監督に賭けてお金を出す大人がいることをとてもうれしくおもうのね。だいすきさ、『LA LA LAND』。

 

 

もちろんほんとのところは知らないけど、おっさんに怒られやすい、優秀かつ叱られやすいタイプのワカモノなのかなーって妄想がはかどってよい。キック・アスの、Bad Reputationがかかってヒット・ガールが突っ込んでいく、あの感じがさ、チャゼルに感じられてすきだなとおもう。ジョーン・ジェットの、アメリカ、いいなあっておもう曲。「時代は変わってんだよてめぇ古いな、どいてろおっさん。」

 

繰り返し数回見ていたら、主役の二人がはじめ、セッションのあの少年とエマ・ワトソンだったのがよくわかった。たしかにそのほうがテーマはわかりやすい。ちょっとしょうもないけど世間にズレてすごくあつい男の子が、人形のように綺麗ででも内向的で繊細な自分の内面をハリウッドオーディションの役で活かすことができず日の目を見ない女優志望の女の子。

恋愛の部分より夢追いの部分にクローズアップされて、今一緒にいる人が次のステップの自分にも同じように必要ではないこと、進んでいくことで終わるものがあり、ともにいる相手が変わっていくことが切なくても自然であることが、しっくりきやすい。