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ごらんになりましたか

サラバ! 感想文 -西加奈子の出エジプト

お題「読書感想文」

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変な話だったと、言ってしまってよいだろうか。にも関わらず、分厚い上下巻、夜を徹してあっという間に読み終わったのはなぜだろう。直木賞。当時の本屋の平積みと、著者の渾身で書いたというコメントが記憶に残っている。なんだろうな、誰もみんな、読みたいキャラクターじゃなかったからかなぁ。

今まで読んだことのある西加奈子の文章というより、主人公「圷(今橋)歩」の文章であって、34~37歳の歩よ、君の文章、わたしはあまり好みではないらしい。なぜ、君が技術もないままこの小説を書こうとおもったか、読み終わった今もいまいちようわからんのだ。情熱も作家性も見つけられなくて御免。「信じるもの」というテーマも、好かんかったのかなぁ。でももう一回言うよ、君の人生、一気に読み切ったよ。エジプト時代の歩くんのことは、好きだったよ。

 

西加奈子、プロレスのはなしとか、みどりちゃんのはなしとか、かなり好き。中年吉田と左右の目の大きさがちがうおんなのこ、寿老人の好きなどもりの男の子とこっこちゃんの団地、将来を見越した自意識でシンプルな服を選んで着ることにしてる漁港の美少女も。温泉旅館の幽霊みたいな色気美人も。オリジナリティとか生命力とかあって、いいなぁと思ってた。自分とは別の誰かになって書いている感じがたのしくて。炎上する君の中の短編は、たしかちょっとずるいかなとおもった。オマージュとしても返歌としても、どうかなぁ。ヴクサヴィッチそのまますぎでは。ああいうのもありなんだ。

 

たくさんのお金を持ちながら、古い小さな家で質素に暮らし続けて莫大な財産を残して亡くなるおばあちゃん、ゲイの高校生。働かずに暮らす芸術を愛するおばさん。これは別の作者のまんがにあるんだけど、モチーフとイメージが重なる。好きな作者だから見つけて嬉しいのだけど、使いみちが、いまいちすっきりしなかったかなあ。

 

同じ日に読んでいたよしもとばななのジュージュー、ちょっと混同してしまった。下巻を読んでいるときに、ああ上巻に書いてあったあの文章、いやちがったあの文章はジュージューだわ、みたいな。悲しみと胸の痛みを、一見それとはちがう捉え方で書くやり方。つまりは悲しみだから、ぼやっとしてるとどっちの話の悲しみにもしっくりして、混乱してしまう。でもこれは、よかったところ。悲しみの本質に、そう種類なんていらない。

 

ジュージューの美津子ちゃんは、そのパパは、夕子さん進一夫妻は、立ち上がって生活していく気がした。歩よ、君はこんな小説書いて、歩いていけるのか。君の道、ほんとにそっちか。

歩、社会情勢とかマイノリティとか、もともと興味ないからさ、ちょっと弱いよね。地震もテロも革命も、関心もなければ感受性、感性もいまいちだから、他の登場人物なら起点となるだろう出来事も、歩を通すと普通以下になっている。そしてそれは、作家になっても変わらないらしかったのが残念(あれ、全体が作家になって書いた小説ということでいいんだっけか?時制とか書き分けとかちょっとよくわからないや)。義務として興味持たなきゃ、では読んでる側からしたら伝わってこないし面白くない。なぁんも、見えてないもんな。歩には、まだ自分すら。興味ないなら興味ないなりに、自分さえあるならば、クラスメイトや職場の人の素人意見とその語り口は、歩より面白かったことを思い出した。

 

そしてさ、歩みたいな人、この国に結構いるんだろうな。わたしのなかにもいるかもしれないし。これは悪い意味で言っています。人と比べてプライドばかりで論理的な傍観者批判者のようで自分の視点がなく、じつはまるで整合性が取れてない人。そして自覚もないそのひとたちは、ゲイジュツとそれに親しむ人をどうもバカにする傾向がある。かれらにこそ、必要なのではとおもうけど‥歩もところどころ、カルチャー系ライターとはおもえない無理解があった。プライドがアートの邪魔をする不思議。

自覚がないということは大変よろしくない。自覚のない言葉は、信用ならないどころではなく、広がりを持たず壊しても創り出せず、いまいち言葉として成立しきらないもどかしさ、不快さがある。小説としてならなんとなく、与えられるよりは奪われてくかんじかなあ。

普段はテリトリーがちがうから、この要素の強い人と外で会うことあまりないけど、何かの拍子に袖振り合うとびっくりする。あなおそろしや。

 

次、悪い意味で歩みたいな人に会ったら歩のこと思い出して、驚き傷つく自らを戒めすぎず「あー、いるいるこういうひと‥でもこのひとなりに、懸命にやってるんだよな」とおもうことで自分を守りたいとおもいます。家族や友人ならまだしも、通りすがりの他人ならそうそう愛なんて持てないし、そういう防御をしていかないと傷つけられるだけだと自分に言い聞かせて。こちらがまともであればあるほど身がもたないことがあるから。歩は自覚を持ったから、変わるのかな。歩、歩なりの偏りの中でがんばって生きてきたんだもんな。会うかもしれない歩みたいな人もその人の人生のどこかで、自覚を持つ時が来るかもしれない(期待ではなく希望というやつ。来ないことのが多いのかも知れないし、来てもアガサクリスティの『春にして君を離れ』みたいなことかも知れないけど‥)。自覚持つ前の段階で出会ってしまったら‥そんなやつに傷つけられることはない。ファミレスの恋人たちみたいに、光の中からでてこないというのはよい対処法にみえるけど、歩のやばい進化系、自覚のない悪意のあるタイプには、通用しないからなぁ。いやはやおそろしや。