Starring: my name

ごらんになりましたか

グザヴィエ・ドラン『Mommy』 -「“変わってるわね”と口にする人たちは‥」

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画角、横長じゃないんだなぁ、ふーん、ってみていたのね。それがさ、あるシーンで、主人公の手でもってぐうっと、いつもの幅に押し拡げられる。「あれま!」とおもいましたよね‥

オアシスの歌が、掛かっててさ。この曲、この前映画館でみたぞ知ってる、ワンダーウォール。ロングボードに乗った主人公が、正面切って、こちらに向かってやってくる。こちらにいちばん近づいたところで、大きな腕の動きで、ぐうぅっと。後続の車にスーパーで買ってきた果物ぽいぽい投げながら、母に叱られ、家庭教師に喜ばれ、この三人のジャストな親密さ。みんなで走る、すべてがうまく回っているときの「自由」!あの悲しいフラグ立ちまくりの、ささやかで最高の記念写真のときのまま、うつくしさの始まりの続きの中で。ダイアン、カイラ、スティーブ、それぞれ脛や心に傷持つ、でも一緒にいればまるで無敵の、三人組。

 

ロングボード乗りながらの歌は、Oasis“Wonderwall”で二曲目。ロングボード一曲目の歌、Counting Crows“Colorblinde”のときは、正方形の画面の中、主人公はこちらに背中を向けて画面の奥側に進んでる。だだっ広い田舎の駐車場について、スーパーのカート振り回す。歌詞やセリフの内容もあって、こちらは鬱屈した大きなエネルギーが、逼塞されてぐつぐつぐるぐるしているかんじ。

この対比。だからなおさら、次のワンダーウォールでのスピードと広がりに、あまりの自由がめずらしく嬉しく、どきりとする。

 

感情の昂ぶりの表現が上手すぎて。スティーブの(そしてダイアンの)性格の描写になるタクシーのくだりやネックレスのくだりの、感情とセリフひとつひとつのボタンがみるみる掛け違って爆発する、あのリアルなかんじ‥引き込まれる。ある種「絶望」の表現。ダイアン側の恐怖、そして、あのフラグに対しての、あぁこれは仕方がないという‥。母を想い、自分が父親の代わりをやろうとする、届かないもののパワーのある、コントロールを失って噴出してしまうスティーブなりの、愛のような感情。

ダイアンとスティーブには、言葉の上で罵り合いながらも、お互いへの愛や理解が前提にある。言葉は汚くとも、彼らのやりとりには底意がない。この底意のなさって、なかなかないものだ。例え家族の関係でも。伝わる人には伝わり、カイラのような状態の人にはよい感化を及ぼすし、とはいえタクシー運転手が相手だと、ああいうかんじになる。

 

スティーブは、ジェルミとはちがう。(『残酷な神が支配する』のジェルミ。)萩尾望都の、父を亡くし、母を守って生きていこうとする少年となにがちがうって、母が「ファイター」であるところだ。だからスティーブは少なくとも、「二人で頑張ろう」と言うことができる。スティーブは、「個」としてはほんとうに魅力的に描かれている。言葉以外の要素が圧倒的な世界を生きているともいえるのに、スティーブの話す言葉の純粋な強さには目を見張る。社会とのつながりをつくることは難しくても、理解とフォローのある家庭の中ではのびのびと輝ける。学び、外に出ていこうという夢もある。

10代の息子を王子様のように愛しながら一方、ダイアンはおそろしいほどに自立している。幼さや脆さを感じさせないわけではないけれど、どんなときも倒れない、立ち止まらない。ドキュンファッションとラブリーサイン、口の悪さにはじめこそ戸惑うものの、冒頭ですぐ「車がなければバスを使えばいい」という切り替えが難なくできる人であることが示される。専門じゃないと自認し公言しながら、辞書、コネ、それからおそらく少しロマンティックな感受性、これら自分の使えるものを使い倒し、仕事として子供の本の翻訳ができる感性を持った人。公式HPをみたら、「生まれながらのファイター」とあって笑ってしまった。ダイアンみたいなファイター、だいすきだ。

 

HPファッションのところに「愛と希望に満ち溢れた映画」との感想が一部あったけれども、満ち溢れているのはどちらかといえば絶望です。最後のダイアンのセリフの通り。二度目の画角の変更。みていて、ここでまた拡がってほしいと願ったところで拡がり、そして成長したスティーブの‥

これが胸にくるということは、ね。凄かった。

 

画角の戻ってからのラスト、もうほんとう、強かった。

絶望に満ちているかもしれない世界、変わっていること役に立たないことが差別につながりうる“知性の足りない社会”における、「正しい希望の抱き方」についての映画だとおもう。

 

(すぐれた少女漫画のように。なぜって少女漫画の感性は、「正しい希望」を抱くことについてのスペシャリストだから。「ファイター」についても然り。)

(「“変わってるわね”と口にする人たちは、違いを理解する知性に欠けている。」ミニドキュメンタリー『グザヴィエ・ドランのスタイル』の冒頭で、ドランがこう言うそうです。広まってほしい、よい認識。)

 

DVDパッケージの後ろ、あらすじを読んで変な設定だなと思いながらも監督の名前で借りてきた(『わたしはロランス』すきなので)。のに、みている間は引き込まれすぎて、監督のこと、名前も顔も年齢も忘れてた。映画的に、うつくしかった。あぁ、いい映画を見た‥と思う。

 

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監督・脚本・編集・衣装デザイン:グザヴィエ・ドラン、製作:グザヴィエ・ドラン、ナンシー・グラント、撮影:アンドレ・トュルパン、美術:コロンブ・ラビ

出演:アンヌ・ドルヴァル、スザンヌ・クレマン、アントワン=オリヴィエ・ピロン、パトリック・ユアール、アレクサンドル・ゴイエット

 

 ラストの強さで、『ガタカ』を思い出した。わたしのだいすきな「希望」映画のひとつです。

 

 

ラ・ラ・ランド、賛否両論なことと、讃のひとは「映画を新しくした」などいっていることだけを情報として知っていて、すっかりグザヴィエ・ドランかと思い込んでいたら、セッションの方の人でしたか‥。デミアン・チャゼルか。なるほどそれなら、賛否両論になるかんじ、わかるような気がする。近いうちみに行こう。今画像みたら、ウディ・アレンの『世界中がアイ・ラブ・ユー』を思い出すけどもそんなかんじではないのだろうか。あのクリスマスの魔法、セーヌ橋のラストシーン、だいすきだ。)

 

(カウンティング・クロウズのカラーブラインドからの、田舎の駐車場のシーン‥『ギルバート・グレイプ』思い出した。わたしはあの映画の、駐車場のバースディケーキのシーン、すきでさ‥。ジョニー・デップレオナルド・ディカプリオの兄弟を思い出した。お金がないって窮屈なんだよね。半端な田舎も。壁の向こうが見えなくなる。色んな事情で窮屈になったとき、どうやって、世界を広げようか。わたしはねぇ、気の持ちようの部分なら、本を読んだり映画を見たり舞台をみたりするかなぁ。Mommyでけっこうチャージされました。自分の心が、広がる。耳にピアス、ブルースーツのハンサム、カンヌのスピーチかっこよかった。25歳だって。)