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ごらんになりましたか

ラ・シルフィード -村人と空気の精の恋をみた

La Sylphide Fashion Plate 1840 - No 15

                                                                                                             

バレエって、見る前にあらすじだけ読んでもだいたい、なにやらよくわからない。でも、見終わったあとなら、とても感慨深い。

「ジェイムズは、エフィと婚約してるんだけど空気の精と恋仲になり、自分の結婚式の最中に空気の精を追いかけて、森へ抜け出す。悲しむエフィに別の男がプロポーズ。ジェイムズはそのまま森で妖精たちと戯れるも、いまいちふわふわした空気の精を捕まえ切らない。魔女にもらった呪いのアイテムで、それと知らないまま、空気の精を殺してしまう。絶望。一方村では、婚約者は別の男と結婚していた。……ロマンティック・バレエの代表で、三大白のバレエのひとつ。村人と空気の精(シルフィード)との純愛の物語。空気の精を表現するため、チュールを重ねた膝下丈の白いチュチュを着用し、トゥで立つ技術を駆使した演目。」

???……

てなりますよね。踊りをみて、ああそうかとはじめて納得が行く。シンプルでクラシカルな物語の中、種族のちがう二人は、実態のない恋をしている。たしかに「だめなのにでも今がすべてと流され行くことに多幸感のある純愛」、アルビッソンのシルフィードが妖しくて、翻弄されるマルシャンのジェイムズがロマンティックだった。白のバレエの深い森は、魔女とエルフの棲家だった。 

空気の精が、空気の精にみえてくることがすごい。あほな若者の行動がかなわぬ純愛にみえてくるのは、舞台装置と衣裳と踊りで、妖精を表現できているから。人間じゃないものの、えもいえぬ美しさ。バレエの醍醐味。

言葉がなく、魔女にどう騙されたのかよくわからないけども、触れられない空気の精に触れられるようになるための羽衣、だったのだろうか。死んではじめて触れられたと…。誰もジェイムズを責めたりしないまま終わることに、いい意味で世俗感がなくて、世間から隔絶された個人的なものとしての恋愛のロマンティックを感じる。仲間の精がなんらかの反応をするかと思いきや、怒らず悲嘆せず、淡々と天上へ送るのみ。すべてはふたりの心の中のこと。

死に際しても感情が抑制されている世界に住む、未来もしがらみもない素直な、悪女。戯れるも自在にその姿は消える。誘惑され、美を追う喜びに日常を忘れ、嬉しそうに夢を見る青年。このふたりの一時の儚い閉鎖された関係性が、うつくしく叙情的に見えてきて……恋、いいかも、甘美だ…と思えてくる。二人きりの世界のロマンティックいいな、これは絶対的に素敵かも、とあほみたいに憧れる。村の表現には地に足ついた感じがあって、捨てられ役のエフィに、人格と仕合わせの予感があることが担保になりみていて安心。形式的な古典の物語のシンプルさが、踊りや技術、情緒を際立たせる。

 

見所は、結婚式で、ジェイムズとエフィと空気の精が三人で踊るところ。空気の精は、ジェイムズにしか見えていない。赤いチェックの衣裳、はつらつと血色の良い村娘の踊りをするエフィと、白いロングチュチュで幽玄に誘惑する、ちょっとずるいくらいのシルフィード。その二人を同時に相手するジェイムズ。それぞれのキャラクターの感情の成り立ちが緊密で、独立しつつの二重交際の緊張感がある。 

それから森での、シルフィードたちの群舞。恋のさなか、踊る毎に関係を進展させていく主役の二人。

 

わたしがみたジェイムズは、ユーゴ・マルシャンで、エトワールに任命されて最初の舞台だったらしい。子犬のように愉しげで、若くうつくしくおばかさんなジェイムズだった。ハンサムで細身で、身のこなしが軽い。エフィを愛していてでもシルフィードが気になって、自分自身のことも好きで、なにも疑わず……思慮も浅く。眼差しからは、繊細さと穏やかなやさしさも感じる。芯の部分のちいさな不安を覆い尽くすように能天気な明るさを纏い、キラキラした目でずっとにこにこしてた。軽やかに高く飛ぶ。華やいだ笑顔で跳ね回る。今ここで踊っているということが全身で嬉しそう。軸がまっすぐで、疲れや自重は感じられない。どこか寄る辺ない心と羽が生えたように軽やかな身体、妖精に魅入られた人間の妙。

ラ・シルフィードのアマンディーヌ・アルビッソンの芯の強い蠱惑的な色気と、エフィのヴァランティーヌ・コラサントの小柄な身体にエネルギーが満ちた鼻っ柱の強そうな感じの対比がよかった。大柄だけどもアマンディーヌは空気の精だった。「空気の精」って翻訳に疑問ありというか、なにかよくわかんないけど、きっとあんなふうなんでしょう。気品があって凛としてるのに、輪郭薄くて溶け込むような、なにもかもすでにわかっているような。首筋から肩にかけてのラインの優美さ。ずっとポワントですごかった。優雅にあがる脚。音楽にのっているのに、止まって見えるような余裕…わりと出ずっぱり、すごい運動量なのに。周りの妖精たちは少女たちのようにそっけなくピュアで、儚く静かだった。一人一人しっかり踊っているのに、あの衣裳でたくさんいると自と他の区別がないようでもあって、それらが個々粛々とフォーメーションを変えると、別世界みたいに妖しくてうつくしい。

 

パリ・オペラ座バレエ団 2017年日本公演

振付:ピエール・ラコット(フィリップ・タリオーニ1832年原案による)/装置:マリ・クレールミュッソン(ピエール・チチェリ版による)/衣裳:ミッシェル・フレスネ(ウジェーヌ・ラミ版による)

演奏:東京フィルハーモニー交響楽団/指揮:フェイサル・カルイ

東京文化会館3月5日

 

ラ・シルフィード:アマンディーヌ・アルビッソン/ジェイムズ:ユーゴ・マルシャン/エフィー:ヴァランティーヌ・コラサント/魔女マッジ:オレリアン・ウエット/ガーン:ミカエル・ラフォン/エフィーの母:アネモーヌ・アルノ―

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