『ザ・マザー』から『たかが世界の終わり』まで
ドラン監督&マリオン・コティヤール/映画『たかが世界の終わり』インタビュー映像
感情移入、しすぎるのはこわいし、してる人みるのも、あるいはまったくしない人みるのもちょっとこわいけど、「わるいこと」「よいこと」じゃない。
「こわいこと」。
こわさの理由については一旦おいとくとして、なにに感情移入しやすいかな自分は?と新春取り調べ中…
わたしはね、いま、感情移入が、したいみたい。
たとえばゴジラなら、ゴジラ。ガメラもギャオスも、そう。かいじゅうはみんなうちのペットに似ているので守りたい。
怪獣映画の怪獣は、乗り越えるべき厄災の象徴とみられることが多いらしいけど、わたしは数見てない分そのへんの理解が疎いのか、
というかシン・ゴジラはあまりそうじゃない作りだったとおもう。あれ、ゴジラわるくない度が高い。そして、あの案件に対して、巷の人々の言葉も、事態収束に頑張る人間の言葉も、なんていうか、雑音。人間の思いや行動は、まあそう、雑事みたいなもの。出てくる人間みんなかわいくて、誰のこともわたし好きだったけど。
その中で、特設グループ内の会話の二回の「ごめん」は雑音じゃなく、すごく意味を持ってきこえてきたのがよかったなとおもう。あれがさ、「希望」ってものだよね。
あのごめんがなかったらさ、吹き飛ばされてしまうがよかったよ。ゴジラに焼き尽くされてしまうがいい。宮沢賢治の猫の事務所の、おっきな金色の獅子がやるみたいに。
アメリカの飛行機にビームで反撃するゴジラをみて、そうだ!怒れ!もっとやれ!…とかおもう感じで、ボクシングとかみながら、ころせー!って叫べるひとに、わたしはなりたい。
これはまたこのあいだみた別な映画のはなしなのだけど。
外部とのやりとりの中で自分の中に生まれてしまった攻撃性を、現実と非現実のはざまで発散させるということ。それは「自分の人生を思い通りに生きる」ためであるということ。
いま、そういうものに感情移入、してる、したい。
というわけで、ドランを見返しています。カナダって、面白い国なんだな。
あと残るは、胸騒ぎの恋人。
たかが世界の終わり、すごくよかった。
. . iPhone から送信