わたし最近、くろいぬで。
江分利満氏の優雅な生活、終盤のぼやきがねぇ、いいかんじに帰りたくて帰れないふうでおもしろかった。打ち切りもさもありなん。戦中派の、反戦節。岡本喜八。映像妙な撮り方色々試しておもしろく、小林桂樹の喋り方はとてもおもしろい。
昔の日本映画のしゃべりかたっておもしろい。言葉数の情報はすくなくて、間があって。
間があって、不器用で、優しい人が多い。
残像は、どうだろうね。アンジェイ・ワイダ。
わたしはああいうのきらいだな。あんなふうな描き方、特にあんなふうに死ぬのは。同族嫌悪といわれたら仕方ないけど。あの人格はできあがりすぎではとおもうし。
ポーランドでスターリンの全体主義に殺された前衛画家、ストゥシュミンスキ。大学で社会的リアリズムを強要されて、真っ向から反発。もっとうまくやれよ。建前つくれよ。正しさは、親しい人とお腹の中とで、なんとかならんかね。うまく折り合いつけて日和れよ。
…というような、きらい!がでるほど、なにかを投影してみてしまったんでしょう、わたし。あんなふうに格好良く死なれてしまうのはちょっといやだ。死ぬってどういうことか、どうやったら生き延びられるか、教えてよ。
自分もうまくできなくて死ぬほうだからつい、そういう見方になってしまう。なぜでもいつも、「個人ではどうしようもない大きな壁にぶつかった卵みたいに割れちまう側」の人間というのがいる。恵まれた何かがあるぶん、はたから見た人らに、もっとうまい方法があるのにやらないなんて傲慢だワガママだといわれがちな。損得諭されても、自分の殉ずるものがそういうことじゃないから、どうしようもないんだよね。
全体主義とかだいきらい。現代日本でも、そう他人事じゃない。
そうだ、白いリボンもみた。ハネケの。実力はもうまちがいないけど、でもどうだろうね、映画としてみたいものってなにかといえば…心を入れ替えたみたいにいい話だというアムール、まだみてないんだけど。
時代は、人とは別にあるってほうが、みたいな。とりこまれるのでなく、自分を手放さないやり方。スカーレットみたいなさ。
ケストナー、調べたい。ストレス受けるものをみたあとは彼の書く、仔牛が歩いてちょうちょが飛ぶ、豊かな昼下がりの高地に心が帰っていく。あるいはさ、ヴォネガットの書くレモネードのテーブルに。