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ごらんになりましたか

美女と野獣(実写 エマ・ワトソン版) -エバー・アフターがもう一度みたい

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美女と野獣エマ・ワトソン版。アイマックス、3Dで鑑賞しました。

もしどのタイプでみるか迷っているなら4Dでみるのが、わたしはおすすめです。

 

シャボン玉が飛んで、雪が降って、振動を感じたり香りがしたり風が吹いたりしたら、きっと最高に楽しい。ディズニーランドに行ったみたいに。

 

迫力がありました。特に冒頭の村のシーン。

ゼルダの伝説のリンクみたいな風情で、ベルが小屋から登場。歩くベルを追いながら、村と村人たちの紹介が歌に乗ってはじまる。田舎の小さな村だけど、演出が豪華で視覚的に絢爛。ピンクの花々に囲まれた娘達の美しさ。ドリームガールズの監督だって。金箔の画面の中で歌い生きる人々の姿がベル父のつくる小さな人形たち、小さな箱の中で思い出と物語を健気に生きる、そのいじらしさと重なって。

 泣きますよね。これを、人の手がつくったということ、それをこうして皆でみているということ。映画という箱庭の中、個々の夢がまるで手で触れられるものとなり大きく実現した、みたいなことで。そして、新緑の風を感じるような、まるでサウンドオブミュージックみたいな丘へ出る。大盛り上がりです。

 

ディズニーアニメのファンは、この「実写化した」ということだけですでに胸がいっぱいとききました。

わたしはアニメのベルをよく知らないのだけど、夢と魔法が好きなので胸がいっぱいで、意味のない涙を4回ほど流しました。いや、圧倒的なパワーにびっくりして押し負け続ける感じなのよ。

 

わたしが原作、ときいて思い浮かべるのはグリム童話や、フランスの民話の方。そのベルには名前がなくて、お父さんは貿易商で、うたいながらぴょんぴょんとぶヒバリを欲しがったり、バージョンによってはバラを一輪欲しがったり。お姉さんたちがうつくしい宝石やきらびやかな衣裳を欲しがる中、独自の考え深さを持つ娘。皆が嫌がる役目でも約束は守るべき、と自ら野獣の城行きを志願する、物静かで意思が強い娘。

映画ならディズニーでなくコクトーをよくみていたものだから、話は全然、知らないものみたいだった。ストーリー上のわたしの好きな部分はだいたいなくなっていて、別の方法で辻褄をあわせていくような。ディズニーだからできること、ディズニーだからできないこと。

 

話の強度でいったら童話や民話はその理不尽さ含めて物凄いものがあるので、同じ筋の中大人たちの都合で変化させると、どうしても芯が薄く細くなる。アニメはそれを、艶かしく動く絵と華やかなミュージカルの歌で乗りこなしたのだろう。アリスと白雪姫なら知ってる。大好き。

実写の不利は、セリフの軽さ、CGによる芝居の大味なかんじというか‥CG相手にお芝居をするのは、きっととてもむずかしい。だいたいの映画は、スクリーンにはからずも映ってしまう、人対人によって生まれるなにかを鑑賞するものだから。

 

白雪姫症候群」「プリンセス願望」ディズニーのアニメでよく言われるこういうやつ。さて、ディズニーアニメはほんとにそれを広めたのかな。わたしはあまりディズニーをかぶらなかったものだから実感のある話はできないけれど、罪があるとすればディズニーではなく時代なり社会の方であり、

というかそもそも、童話や民話のお姫様たちはさ、いつか王子様がとは思ってないと思います。ディズニーの歌詞にそうあるからそれが何だというの。割りと皆、我も芯も強い。職業選択の自由こそめちゃ不自由だったけれど、精神はかなり自由なキャラクターたちな気がする。姫たち娘たち、言葉はあまりなく、じっと呑み込んでそうそう語らないけれど。その場その場を腹据えてけっこうしっかり生きてるやつらってかんじ。王子やなにや、童話男子たちの方が、ぺらぺらと喋り、心はよほどぽーとしている。

もうそんなの、こだわることないよ。

 

わたしがね、すきなお姫様は、マレーン姫と、足の早いお姫様。自信を持って挑戦者たちとかけっこしてさ、負けたやつの首をばんばんはねちゃうの。アメフラシの、なぞなぞかけて首はねちゃうお姫様だってなかなかよい意地してると思うよ。毛皮被って逃げる千枚皮もさ。プリンセス読んで出現する足枷なんかないよ、あるとしたらガッツと希望でしょう、閉ざされた世界でとんでもなくつまづいても未来へ歩く自分の足。